宮崎県川南町周辺 美術探訪

ギャラリエンヌの久しぶりの再開

絵心なし、でも絵が大好き。
自分の思いを絵に描ことはできないし、
かといって文章にして何かを表現したいと思っていても
語彙力がなくそれもいやだ。
ただ感じ取ることはできる。

故郷の宮崎に訳あって戻って約半年、
常に絵と苦楽を共にしてきた私は、絵画がある所はどこにでも足繁く通った。
そして、この地域には絵画が大好きな人がたくさんいることに気づく。
好きな人は絵画教室に通って腕を磨き、趣味として描いている。
その仲間同士でも、交流の輪が広がっているのを垣間見た。
楽しそうだ。

宮崎県川南町

しかし絵をみて感じることをしているだろうか?
肩書きでその作品が優れていると決めたりしてないだろうか。
純粋に一心不乱に眺めているだろうか?
自問する自分の姿。

この界隈ぶらりとウインドウショッピングし、食事をして、
ここの店主は絵が好きなんだなーと感じさせる場面も多々あった。
絵画ファン結構いるじゃないか。
絵画や美術品を通してコミュニケーションを深めることができたら
どんなに楽しいことか。
こちらの一方的な考えで、自己満足の世界かもしれないけれど。

食事が入らず、体は衰弱し、外に一歩も踏み出せない状況の中、
川南の自然が少しずつ回復へと向かわせてくれた。
外出は、最初はフロンティアバス(コミュニティーバス)に乗っていたが、
途中から、オンデマンドバス(前日予約が必要なバス)に変更された。
しかし、予約しても当日体調が変化して乗れないこともあったり、
途中でリタイヤすることもあった。

けれど、久しぶりに自分の力で歩いてトロントロン(川南町の中心街)まで
たどり着いた喜びは忘れられない。
買い物すると目がグルグル回って、途中座り込む事もあるけれど
みんな助けてくれた。感謝の限りだ。

欲張りは禁物だけれど、自分の好きなことを手始めにやってみた!
体が動かないときは人の力を借りて美術巡りをし、
夢中になると一瞬からだの苦痛を忘れてしまうなど
アートの力が大きい事を改めて知った。

今度は自分の力でできることがないのか模索。
思いついたのは、トロントロンをはじめ
川南ストリートを美術館と想定してお店や公共施設を訪ねみること。
パソコン入力も目がグルグル回ってままならないのだが、
感動を記録に残すのもリハビリになるかと考え
「美術探訪」と称して、久しぶりに日記を再開することにした!

手始めに
この写真何かを思い起こしませんか?

種まく人?

ジャン・フランソワ・ミレーの種まく人に!

はんにゃはらみつた

堀文子という日本画家の作品を目にしたのは、
丸善に時々出張店舗を開いている・・・画廊だった。

本屋の一角で所狭しの中、一瞬にして客の目を引かせる為には、
やはり、ピカソ・ミロ・ミュシャ・ブラック・シャガール・
上村・・・東山・・平山・・などの
超一流どころのリトグラフやエッチング。
日本画家の作品はリトなどにするとどうしても見劣りがするが、
海外作家の作品に関しては、
普段目にする事のない優れた作品がたくさんある事に驚く。
しかも昔に比べ比較的安くで買える。
そんな中、自分の目線よりも高い位置にある
色紙サイズを一回り小さくした作品に強く惹かれた。
描いているものはそんなに込み入ったものではなく、
比較的単純なものではあったが、迫力があった。
手描きである事も一つの要素かも知れないが。
それとはまた違う何かがあった。

作者は「ほり ふみこさんという方」です。
そう教えてくれた。

それから数ヶ月、
本屋で生命科学者・柳澤桂子の著書に出会った。
『生きて死ぬ智慧』小学館。
その表紙に画・堀文子とあった。
何といううれしい偶然!
本の中身はお釈迦様の説いた般若心経が教える
『空(くう)』の世界を作家の解釈で訳したもの。
大きな字で比較的読みやすい。

空の境地とはなんぞや?
と読み進めていった次のページはすべて絵。
文字は黒地に白抜きで印刷されているためか、
選んでいる作家の作品も色調は暗い。
故に作品が語りかける力は強い。

初期の作品もおもしろいし、
1998『ヒマラヤの夕映え』は、実際山に登らないと描けないだろうし、
1982『霧氷』は、寒さの中、樹木はひょうひょうと空・天に向かっているし。
1990『麦畑に芥子が咲く』は、畑から見える空がとてもいい。
無の境地で描いたのだろうか?
文章と絵があっている。

一度、堀文子の作品を見てみたい。
(自分の予算の範囲内でよい作品を手に入れたいと思うなら・・
この本はおすすめです。)
ちなみに、衣類であればユニクロだとか