我が家にやってきたこの絵を友人は好んだ。
”でも、自分の田舎の家で筒状に丸められ、
ほこりをかぶっていたら、捨ててるだろう。”とぽつり。
絵は人目にふれられてこそ、幸せであり価値がでるのだと思う。
この絵。約8年前だろうか。
骨董屋で見つけたオルガンの絵。
机の上でブックエンドに立てかけられた数冊の本。
その横に開かれた1冊の絵本?
そばには、ガラスコップを花瓶にみたて一輪の黄色い花。
そして、机、椅子、オルガン。
昭和7年。水彩画。部分的に痛んでいる。
何とか人に見てもらえるようにと、額縁に納めたそんな絵。
これが店主の心遣いというのは一目で分かる。
ある日曜日、子供達をつれて眺めに行った。
店の中は暗くて、光の当たるところに持って行ってもらってみんなで眺めた。
とても心が豊かになった。
古い時代にオルガンのある家。一体どういう人達が住んでいたのだろう?
値段が張る絵でもなく、そのまま買って帰ろうかと考えたが、
その日、店主がいなかったこともあってやめにした。
自分が不在のときに絵が売られたら、きっと寂しがるに違いない。
日を改めて売ってもらおうと決めた。
そして、出かけた日。
骨董屋のおじさんも、”それがとても気に入っていて売りたくないのだよ。”
と言う返事だった。
有名・無名関係なく、絵を本当に愛するその姿勢に心打たれた。
その後、遠いところに店は移転し、音信は途絶えたが、
オルガンの絵は記憶から消えることなく、ことあるごとに思い出した。
それから時が経過。
骨董屋さんから葉書が届いた。
市内に戻って来ましたと。
さっそく訪ねてみたが、おじさんは留守だった。
”主人は売らずにあの絵をとってますよ。”と奥さん。
”来るときは電話してね。見せるからね。”うれしい言葉だった。
それを聞いた娘も、その数日後、店を訪ねていた。
オルガンの絵を求めてのことだと知った。
友人同士で絵画談議をしていたら、
娘が入ってきて、熱弁をふるう。
”一番私が欲しいのはあの絵だった。。
でも、あの当時は家が狭くてかける場所もなかった。”
親子の考えは一致していた。
長い時をかけて、我が家にやってきた一枚の絵。
家族が1人増えたような満足感がある。
来る人来る人みんなに見て欲しい。
現代によみがえった絵なのだから。