創造すると言うこと。

夕方帰宅して見ると、
子供達が100円ショップで購入した針金で
ペンチやニッパーを使い、夢中になって何かを作っている。
宿題そっちのけでその作業は寝る時間まで続いた。

息子の作品はまるで”フライドチキン”。
娘のは弦楽器のようだがはっきりしない。

翌日も学校から帰宅して作業を続けていた。一体何事!

出来上がったのは”バイオリン”と”カブト虫”
>>>なんと、あのフライドチキンには羽と足がついていた!!!<<<

 針金細工を見るにつけ”ジャコメッティ”の立像を思い出し、
「それを作って」
 と要求する身勝手な親。
「時間があれば作る」
 と返事する子供達。

しかしなぜ”カブト虫”を作ろうと試みたのか?
実は小学校の図画工作で針金細工を作ることになり、
本人はカブト虫を作ろうと構想を練っていた。
授業という本番に備えて作ってみようと考えた行為だったのだ。

本番の日がやってきた。
さぞや凄い作品ができると期待していたら、
持ち帰った作品にちょっとガッカリした。

カブト虫(針金)カブト虫(工作キット)
針金のカブト虫 と 工作キットのカブト虫

カブト虫は確かにできていた。
しかし工作キットを用いての制作であり、
創造力を高めるにはちょっと限界があるなあと感じた。
娘の小学時代も工作キットを使用していた。
美術の授業も個性化から、
画一化されたものへと変わりつつあるのだろうか?

ちょっと残念。

作家というものは、少なからず誰かの影響を受ける。

田舎に戻ったとき、偶然デパートの中の美術画廊に入った。
買いもの客でごった返した中で、唯一くつろげる空間だ。
気分がめいった時、目先の煩わしさから離れて遠くを眺めたくなる。
日本やフランスの風景。花、人物・・・。
モチーフは色々。

自分の心、置かれた状況で眺める対象は異なる。
海や雲の風景画に引き込まれた。
自由が欲しかったのだろう。
心の動揺を沈めるのにどのくらい時間を要したのか。
そして展示してある1枚1枚の絵を眺めていった。

フランスの田舎のすがすがしい風景。
セーヌ川界隈。
ルーブルの横に続く並木。 
花のディスプレイに感動して、キャンバスに起こした作品。
子連れでフランスに行った時のことが、まるで昨日のことのように思い出された。
その会場には作家も来場していて、あれこれ話しているうち、
だんだん自分の心が明るくなっていった。
これこそが芸術の持つ力。
人の魂にまで安らぎを与えるプロのなせる技。

時間をかけて眺めていくうち、数点の人物画が目に入ってきた。
髪をまとめ、上にあげた時のうなじから背中にかけての線にほれぼれ。
ロートレックに出てくる様な女性。
片方のおっぱいを下着からのぞかせた長い髪のマドモアゼル。
少女の横顔。
ムンクの絵に出てきそうな裸で寝そべった長髪の女性の表情。
内面がにじみ出てくるような、髪を結いあげた中年女性。

それらの絵にいやらしさなど微塵のかけらもない。
人物も含め、どこか穏やかさを持って、
対象とするものを描いてる作家の姿が浮かび上がる。

作家との会話。
別の作家を引用して、その人の絵を語る自分に気付いたが時遅かりし。
まねではない。
その人そのものの作品であることにまちがいはない。
絵は描き手の生き様、人生が集約されている。
私があなたになれないように。

 大学卒業と同時に美術作家になった彼の言葉をおもいだし、
 目の前にいる作家の先生に伝えた。
 初めての個展での感想を述べた時のこと。
「あれは・・誰々風」
「あれは・・風」
 絵にはそれぞれタイトルがあるのに、よくもまあズケズケと言ったものだ。
「作家は人の作品の影響を受けるものです。」
 明快な解答だった。
 影響を受けながら、その人の作風が出来上がっていくということだ。

美術画廊で時間をつぶすうちに心の傷がいえていった。
空間・絵・作家の先生に感謝だ。

絵を買うと言う行為にいたるには時間、日にちを要するが、
このときの滞在日数は短すぎた。お金もなかった。
1人でも多くの人が絵に興味を持って、買って行ってくれればいいな。
心からそう思って会場を後にした。
>>>時間と場所を与え心血注いで描いてくれた人達にも報酬を!
  と考えるのは私だけだろうか?<<<

中年女性の絵はまだ気になっている。
”絵”ってこんなもの。
後になればなるほど、じわじわと心に?魂?に入ってくる。
また今度画廊をのぞいてみよう。