作家というものは、少なからず誰かの影響を受ける。

田舎に戻ったとき、偶然デパートの中の美術画廊に入った。
買いもの客でごった返した中で、唯一くつろげる空間だ。
気分がめいった時、目先の煩わしさから離れて遠くを眺めたくなる。
日本やフランスの風景。花、人物・・・。
モチーフは色々。

自分の心、置かれた状況で眺める対象は異なる。
海や雲の風景画に引き込まれた。
自由が欲しかったのだろう。
心の動揺を沈めるのにどのくらい時間を要したのか。
そして展示してある1枚1枚の絵を眺めていった。

フランスの田舎のすがすがしい風景。
セーヌ川界隈。
ルーブルの横に続く並木。 
花のディスプレイに感動して、キャンバスに起こした作品。
子連れでフランスに行った時のことが、まるで昨日のことのように思い出された。
その会場には作家も来場していて、あれこれ話しているうち、
だんだん自分の心が明るくなっていった。
これこそが芸術の持つ力。
人の魂にまで安らぎを与えるプロのなせる技。

時間をかけて眺めていくうち、数点の人物画が目に入ってきた。
髪をまとめ、上にあげた時のうなじから背中にかけての線にほれぼれ。
ロートレックに出てくる様な女性。
片方のおっぱいを下着からのぞかせた長い髪のマドモアゼル。
少女の横顔。
ムンクの絵に出てきそうな裸で寝そべった長髪の女性の表情。
内面がにじみ出てくるような、髪を結いあげた中年女性。

それらの絵にいやらしさなど微塵のかけらもない。
人物も含め、どこか穏やかさを持って、
対象とするものを描いてる作家の姿が浮かび上がる。

作家との会話。
別の作家を引用して、その人の絵を語る自分に気付いたが時遅かりし。
まねではない。
その人そのものの作品であることにまちがいはない。
絵は描き手の生き様、人生が集約されている。
私があなたになれないように。

 大学卒業と同時に美術作家になった彼の言葉をおもいだし、
 目の前にいる作家の先生に伝えた。
 初めての個展での感想を述べた時のこと。
「あれは・・誰々風」
「あれは・・風」
 絵にはそれぞれタイトルがあるのに、よくもまあズケズケと言ったものだ。
「作家は人の作品の影響を受けるものです。」
 明快な解答だった。
 影響を受けながら、その人の作風が出来上がっていくということだ。

美術画廊で時間をつぶすうちに心の傷がいえていった。
空間・絵・作家の先生に感謝だ。

絵を買うと言う行為にいたるには時間、日にちを要するが、
このときの滞在日数は短すぎた。お金もなかった。
1人でも多くの人が絵に興味を持って、買って行ってくれればいいな。
心からそう思って会場を後にした。
>>>時間と場所を与え心血注いで描いてくれた人達にも報酬を!
  と考えるのは私だけだろうか?<<<

中年女性の絵はまだ気になっている。
”絵”ってこんなもの。
後になればなるほど、じわじわと心に?魂?に入ってくる。
また今度画廊をのぞいてみよう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です