ギャラリエンヌ (galerienne)

自称”絵買い貧乏”。
絵を買ってスッカラカンになるたびに、絵画を見る頻度は高くなった。
絵画にとりつかれたとでも言おうか。
美術館のみならず、街を歩いていて
目に入る絵があればずーっと立ち止まってしまう。

”お客さん、気に入った服があれば試着してかまいませんよ。”
店員の声。服に興味があったのではなく、
絵に惹かれて入ったブティックでの1コマ。
こういうことは数しれない。
ギャラリーはもちろん 新聞で目にする個展案内。
ありとあらゆるところに足を運んだ。

息子をおんぶし、娘の手を引いて。いつもこういう出で立ちだった。
フランスの美術館巡りをしたときも、同様の格好。
日本美術館の入場料は高すぎる。
パリはメトロに乗りさえすれば、低料金でどこにでも行ける。
ルーブル、オランジェリー、オルセー美術館、子供はみんなただだった。
だから、宿泊費と交通費を除いて、所持金3万5000円。
これで1週間過ごせた。これは余談。

絵は身近な場所にあるものをながめるのが一番だと思う。
時としてギャラリーウォッチングをするということもあるが、
ギャラリーは敷居が高くて入りにくいと言う人は、
”貸しギャラリー”での個展がおすすめ。
目を肥やしていくのだ。

一方、企画ギャラリーはオーナーの目によって厳選されたもの。
良いものもある代わり値段も張る。
清水の舞台から飛び降りる覚悟で買うと言うこともある。
そうして見えてくるものがある。
描く人、売る人、買う人、みんな大変だと言うこと。
それぞれに生活がかかっているのだから。

”絵画愛好家”、”絵買い貧乏”。
貧乏はあまりにもみじめったらしい。
ギャラリーのオーナーもしくは店員がギャラリストとすれば、
私はギャラリエンヌ。(こんな単語が辞書に載っているか分からないが)
今日から”絵買い貧乏”改め”ギャラリエンヌ”にしよう。
ちょっと格好がつくかなあ。

我が家に絵がやってきた。

我が家にやってきたこの絵を友人は好んだ。
”でも、自分の田舎の家で筒状に丸められ、
ほこりをかぶっていたら、捨ててるだろう。”とぽつり。
絵は人目にふれられてこそ、幸せであり価値がでるのだと思う。

この絵。約8年前だろうか。
骨董屋で見つけたオルガンの絵。
机の上でブックエンドに立てかけられた数冊の本。
その横に開かれた1冊の絵本?
そばには、ガラスコップを花瓶にみたて一輪の黄色い花。
そして、机、椅子、オルガン。
昭和7年。水彩画。部分的に痛んでいる。
何とか人に見てもらえるようにと、額縁に納めたそんな絵。
これが店主の心遣いというのは一目で分かる。

ある日曜日、子供達をつれて眺めに行った。
店の中は暗くて、光の当たるところに持って行ってもらってみんなで眺めた。
とても心が豊かになった。
古い時代にオルガンのある家。一体どういう人達が住んでいたのだろう?
値段が張る絵でもなく、そのまま買って帰ろうかと考えたが、
その日、店主がいなかったこともあってやめにした。
自分が不在のときに絵が売られたら、きっと寂しがるに違いない。
日を改めて売ってもらおうと決めた。

そして、出かけた日。
骨董屋のおじさんも、”それがとても気に入っていて売りたくないのだよ。”
と言う返事だった。
有名・無名関係なく、絵を本当に愛するその姿勢に心打たれた。
その後、遠いところに店は移転し、音信は途絶えたが、
オルガンの絵は記憶から消えることなく、ことあるごとに思い出した。

それから時が経過。
骨董屋さんから葉書が届いた。
市内に戻って来ましたと。
さっそく訪ねてみたが、おじさんは留守だった。
”主人は売らずにあの絵をとってますよ。”と奥さん。
”来るときは電話してね。見せるからね。”うれしい言葉だった。
それを聞いた娘も、その数日後、店を訪ねていた。
オルガンの絵を求めてのことだと知った。

 オルガンの絵

友人同士で絵画談議をしていたら、
娘が入ってきて、熱弁をふるう。
”一番私が欲しいのはあの絵だった。。
でも、あの当時は家が狭くてかける場所もなかった。”
親子の考えは一致していた。

長い時をかけて、我が家にやってきた一枚の絵。
家族が1人増えたような満足感がある。
来る人来る人みんなに見て欲しい。
現代によみがえった絵なのだから。