ヘンリー・ムーアの彫刻見つけた!

通りを歩いて出会うアート。
パブリック・アート。

博多駅の正面玄関のほうを歩いていたら、
まるっこくて、子供を抱いてごろんとうつむきになっている、
すべすべした感触の彫刻があった。
抽象化した人物像だったが、
自分自身もその像にうずくまったらどれだけ気持ちいいかと想像した。

着衣の横たわる母と子

像の前に作者名が記してある。
多分ムーアの作品。
しかしその像の周りは人がいっぱいいてじっと眺める事ができない。
人が去った瞬間近寄ってみようと試みるが、こちらの思い通りにならない。
結局、作品のまわりにいる人の目と目があって、そばに行けずじまい。残念!

その後、別府に立ち寄った。
別府駅で列車に乗るまで、待ち時間が2時間。
駅界わいを歩き回って見つけたお店があった。

”3割引き”という表示につられて入ってみたら、
靴、衣類、アクセサリー、パーティバック、縁起物、木彫りなど色々あった。
ほとんどは、ベトナム、タイ、インドといったアジアからの輸入品。
手描きのカレンダー ポストカードを目にして、
たくさんある中から気に入るものを必死に探す自分がいる。
時間を忘れ何かに夢中になっている自分。
”こんな瞬間がすきだ”と思いつつ店内を歩いていたら、
木彫りの裸婦を2体見つけた。
バリの人形だ。等身大かややそれより小さめ。
つるつるして、なめらかで、さわると気持ち良さそうな女性の曲線。
ヘンリー・ムーアの作品を連想させる。
ディスプレイと思いきやそれは売り物、1800円也。
「これおもしろいですね? 安いし」と言うと
「うちは、配送はしないので各自おもちかえりとなります」

人形を抱えて特急列車に乗り、宮崎に戻る自分の姿を想像すると、
とてもこっけいだった。
バリの裸婦像をムーアの作品と見立てそれにうずくまって、
”(あの博多駅で見た母子像のように)列車のなかで過ごす?”
”居眠り?”、するのもいいかとも・・・・・。

買うことはしなかったが、列車の中で、
一連のムーアの作品を思い起こすきっかけになったのはラッキーだった。

ブラン・ヴァン・ヴェルデ

ブラン・ヴァン・ヴェルデ
ビンセント・ヴァン・ゴッホ
どちらもオランダを代表する作家。
ゴッホが激しく燃える炎とすれば、
ヴェルデは穏やかに燃える炎。

彼の作品は抽象画であり、緩やかにカーブした線で構成されている。
彼の作品が日本で公開されたとき、
その曲線に優しさを感じ何度も個展に足を運んだ。
ほとんどの作品が版画(銅版?リト?)だったが、
油絵ほどではないにしろ訴える力があった。
展示即売されようものならすぐ買ったに違いない。

あれから何年も経過するが、ヴェルデの絵は目に触れることはない。
ゴッホとは対照的だ。
ちまたで流通しないのは、日本人には受け入れにくい作品だからなのだろうか。

丸善の洋書のコーナーで、ヴェルデの画集を見つけた時はバンバンザイだった。
画集で2万円の出費は痛かったが!
画集のなかで特に好きな作品がある。

 Bram Van Velde-Sans Titre

”Sans titre”無題としつつ、副題に”La jeune fille”とある。
単に線で描かれた作品にすぎないのに、
”若い娘”とイメージできる。凄い作家だ。

彼の作品を目にすると、心がおおらかになるのは私だけ?
ゴッホとまではいかなくても、もっとスポットが当たってもいいと思う。