現代アート・調和と意外性

陶器は割れるから怖いというイメージがつきまとい、
作陶展なる個展はいつも避けていた。
しかし、6月18日から7月4日まで、
宮崎を拠点に国内外で活躍する陶芸家の個展があると聞き、
その会期中、3度足を運んだ。
場所は赤坂のけやき通り。

”センの造形“、”かさね“、”家シリーズ“等々、
陶器のオブジェ、インスタレーション色々あり。
陶器を食器として、あるいは壺や絵皿などの装飾品としてではなく、
大衆を巻き込むアートとして創作している。
現状に甘えることなく、先見の目を持って、
新しい作品を生み出そうとする作家の意気込みが感じられる個展だった。
と言っても、ギャラリーを訪れた初めての日にそれを感じた訳ではない。

最初の訪問では、
陶器の持つ温かさ、優しさを知って欲しいとの作家の想い、
情熱は感じられたのだが・・・・・。
たとえば”家”というオブジェ。
家に3本の脚がついているののはなぜか、4本じゃいけないのか。
色鮮やかで、一見アンバランス?とも思える色調はなぜ。
数々の疑問が浮かんだ。

2度目に足を運んだ際には、作品たちをしげしげと見て、
さらに心の会話を楽しんだ。

3度目の訪問は娘も同伴だった。
その時、作家に合うことができた。
そして、数々の疑問を生じさせた家を支えるあの脚は、
イーゼルや三脚がそうであるように、3本が一番安定し、
4本にすると1本は浮くのだと教えてくれた。
また、”家“を手にとってあらゆる角度から見せてくれたのだが、
そこには、なるほどそうだと思うこともあれば、
あれっと思うような発見もあったり・・・・・
作家はこれを”調和と意外性”という言葉で表現した。

現在の作品は過去の作品があって成り立っている。
初期の作品、”ミネソタ“、”祈り“、石のようなオブジェを知るにつれ、
徐々に、写真でなく実物をこの目で確かめたいと思うようになった。

娘に名前を尋ね、
「○○ちゃん、どの作品が好き?」
「それはなぜ?」と尋ねる作家。
娘が答えた理由は聞き取れなかったが、
2人の後ろ姿には、親子以上の何か空気を読み取ることができた。
作家の作品に対する当を得た答えができていたのならば、
それは素晴らしいと思った。

ところで、現代アートに賛否両論はつきもの。
それがいいんだと言ったギャラリー尾形のオーナー。
ここのオーナーは目利きであり、発する言葉は類を見ないものである。
作陶展をきっかけにギャラリー尾形を知り得たのは二重の幸せである。

愛される仔猫ちゃん

去る6月24日(木曜日)友達の車に乗せてもらって帰宅途中、
踏切を渡って数メートル過ぎたとき、
女子校生が2人なにやら合図するのに気づく。
注意深く見ると仔猫がよたよた道路を横断しようとしていた。
高校生に捕まえてと頼んだ瞬間、車のしたにもぐり込んだ。
次から次に車がやってきて、後ろから、
「さっさと進まないと踏切に車がつかえて危ないンだから!」と声がかかる。
ドアを開けて手を車の下に入れて足をつかんだと思いきや猫が消えた。
車体の下に入ってしまったのだ。
車を脇に止めて、「ニャーにゃー」と声をかけるが音沙汰無し。

近くの日本レンタカーのお兄さん、
開院したばかりのカイロプラクティクの院長先生、高校生、そして、
猫の里親捜しをお手伝いしているボランティア歴20年の女性も偶然通りかかり、
集まってきて知恵の出し合い。

真ん前のローソンから猫のえさを買って車の下に置いたら、
いずれ猫が出てくるとのアドバイスをしてくれた女性もいた。
あげくにJAFにも電話したが、捕まえられる保証はないとの返事。

「こうゆう時は、警察かな」と言うカイロの院長の言葉に従い、
ついに”110番通報“。
これから猫救出劇がはじまった。

ジャッキで車を持上げ、警官がしたにもぐり込み、無事猫を保護。
猫騒動に要した時間1時間半なり。
保護された猫は警察に渡すと保健所へという運命をたどるらしい。

そこで、一時我が家に待機。
突然の来訪に「バッチー猫だ」と子供たちが叫ぶ。
白地に黒のぶちが所々あり。
背中の中央のぶちはなんとハート型でした。

子猫

通りかかったボランティアの女性のお世話で、
その仔猫はペットクリニックに預けられることになり、
そこですくすく成長しているそうです。
そして、彼女は今、里親を捜すため奔走しています。

運の強い猫だ。
どことなく愛嬌があって多くの人が関わった。
猫が取り持つ縁は悪くない。

昔から絵のモチーフになったりオブジェの対象になったりするのが解る。
この前、新天町の”ギャラリーおいし”でも猫の作品を何点かみたなあー。