パブリックアート散策1(ヘンリー・ムーア)

パブリックアート。
公共の芸術、市民の為のもの。
舞台も美術館・画廊といった室内から、屋外へと移る。
ヘンリー・ムーアの彫刻に出会った感動が忘れられず
日を改め眺めに行った。
今度は近づいてぐるりを一周。

着衣の横たわる母と子(背中)

どの角度から見ても目を引くムーアの彫刻。
後方から見ても明らかに背中と分かる。
背すじの線の彫りもなかなかのもの。
鳩が彫刻にとまったり、近づいている様子を見るにつけ、
あのオスカー・ワイルドの”幸せな王子”を思い出す。
話の内容こそ違え、鳥と母子がおしゃべりをしているかもしれないと・・・。

着衣の横たわる母と子(正面)

正面は母の体に温かく包まれた子供の姿。
彫刻のそばに寝そべっている人たちも母の愛に包まれたいのかな。
ムーアの作品の前で、様々な格好をして群がる人々。
一週間前は、”ねえ、どいてよ。私もっと集中して眺めたいのだから”
と心の中で叫んでいた。
なのに、2度目ここを訪れたときは、そんな思いは吹き飛んでいた。
彫刻、街並み、荷物を置いて横たわる人々、鳩。
みーんなひっくるめてアート。360度どの方向から見てもアート。
これは巨匠ヘンリー・ムーアの優れた芸術性からくるものだろうか。

ヘンリー・ムーアの彫刻見つけた!

通りを歩いて出会うアート。
パブリック・アート。

博多駅の正面玄関のほうを歩いていたら、
まるっこくて、子供を抱いてごろんとうつむきになっている、
すべすべした感触の彫刻があった。
抽象化した人物像だったが、
自分自身もその像にうずくまったらどれだけ気持ちいいかと想像した。

着衣の横たわる母と子

像の前に作者名が記してある。
多分ムーアの作品。
しかしその像の周りは人がいっぱいいてじっと眺める事ができない。
人が去った瞬間近寄ってみようと試みるが、こちらの思い通りにならない。
結局、作品のまわりにいる人の目と目があって、そばに行けずじまい。残念!

その後、別府に立ち寄った。
別府駅で列車に乗るまで、待ち時間が2時間。
駅界わいを歩き回って見つけたお店があった。

”3割引き”という表示につられて入ってみたら、
靴、衣類、アクセサリー、パーティバック、縁起物、木彫りなど色々あった。
ほとんどは、ベトナム、タイ、インドといったアジアからの輸入品。
手描きのカレンダー ポストカードを目にして、
たくさんある中から気に入るものを必死に探す自分がいる。
時間を忘れ何かに夢中になっている自分。
”こんな瞬間がすきだ”と思いつつ店内を歩いていたら、
木彫りの裸婦を2体見つけた。
バリの人形だ。等身大かややそれより小さめ。
つるつるして、なめらかで、さわると気持ち良さそうな女性の曲線。
ヘンリー・ムーアの作品を連想させる。
ディスプレイと思いきやそれは売り物、1800円也。
「これおもしろいですね? 安いし」と言うと
「うちは、配送はしないので各自おもちかえりとなります」

人形を抱えて特急列車に乗り、宮崎に戻る自分の姿を想像すると、
とてもこっけいだった。
バリの裸婦像をムーアの作品と見立てそれにうずくまって、
”(あの博多駅で見た母子像のように)列車のなかで過ごす?”
”居眠り?”、するのもいいかとも・・・・・。

買うことはしなかったが、列車の中で、
一連のムーアの作品を思い起こすきっかけになったのはラッキーだった。