いびつな陶器に愛嬌感じる今日この頃

陶磁器の高級ブランドの経営破綻。
長い歴史に幕を閉じてしまい残念に思う。
子供の頃デパートに展示されているのを見て、
その素晴らしさにため息をつていた。
高度成長期、みんな西洋文化に憧れていた頃。
海外旅行も高嶺の花。せめてカップ1個だけでも欲しい。
それを手に入れてじっと眺めて、
優雅な世界を頭の中で想像できたらどんなにいいだろう。
買い求めるにはあまりにも高価だった。

あれから何十年も経過し、
高級品とされた器やバック、時計、洋服あまりにも身近になりすぎた。
街にあふれかえっている。
器1つとっても、バカラグラス、マイセン、ロイヤルコペン、
ジノリ、ウェッジウッド、ヘレンド、・・・
某電機屋さんの2階に行けば毎日みられる。
だからといって、のどから手がでるほど欲しいという気持ちにはならない。
心が動かない。
20%OFFとあっても財布のひもはゆるまない。

骨董屋でみる古いバカラグラス、マイセンとは異なって見えるのだ。
子供が誕生した頃買い求めた
ウェッジウッドのピーターラビット(比較的安価なこのシリーズを
手に入れるのが精一杯だった。)のカップとも比べものにならない。
15年以上使い続けただけのことはある。
かわいらしい。

思うに大衆化し過ぎてしまった結果、人の心をとらえなくなったのではないか。
絵画にも言えることだが、ブランドにとらわれない方が楽しみの選択肢はふえる。
もっとも、こういう考えに至るまでの過程は長かったのだが・・・。

そして、ひそかにお気に入りの器で日常生活を楽しんでいるのだ。
不揃いな食器たち、それぞれ表情が違う。
みんな違ってみんないい。

ネットオークションによるアートウォッチング

8月以来、ご無沙汰していました。
この4カ月というものネットオークションで絵画ばかり眺めていました。
ブログの書き方を忘れる位熱中していました。

今までやったことのない経験。
いろんな絵を見れて楽しかった。
ネットの世界は時間が過ぎるのもあっという間。
まぶたとまぶたがくっいて、そのまま眠りの世界に入る事しばしば。

名・無名関係なく探せば中々いいものもある。
そのうち、自分がいいと思う作品は、特定の出品者にかぎられてくる。
最初は何が何やらわからないまま手間暇かけて、
名画(あくまで自分の価値観が優先)さがしをしていたが、
慣れてくると、お気に入りの出品者で絞り込むから、見つけるのも早い。
ネット上のギャラリーとでも言うのか。

この期間にオークションなるもので買い求めたのは、
3号程度の油彩を2枚。
価格にして1万5千円弱!
名無しのごんべーの作品だが気に入っている。

しかし現実は厳しい。
有名な作家の作品は、内容に関係なくビックリするような価格がついて売れていく。
芸術愛好家としてはこの現状が何ともやるせない。
無名でも素晴らしい作品はたくさんあるのに。

ネットオークションでのアートウォッチングは画面を通してのもの。
仮想空間の世界にすぎない。
やっぱり実物がいい。
説得力があるし、迫力もある。

今年になって変なニュースが飛び込んだ。
中国芸術バブル崩壊、
ウェッジウッド経営破綻などなど。

一つの時代がおわり。
新たな時代のはじまり。