木彫りの人形に込められた思いは?

法事に行ったとき、お坊さんが生きるというのは苦しみの連続だと言っていた。

四苦八苦と言う言葉の中の四苦とは、生 老 病 死のこと。
お母さんの産道を通ってくるときの生まれる苦しみ。
老いる苦しみ。
病気の苦しみ。
そして死の苦しみ。

八苦とは、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦のこと。
愛するものと別れなければならない苦しみ。
憎んでいる対象に出会う苦しみ。
欲しいものが得られない苦しみ。
心身の機能が活発なため起こる苦しみ。

仏教とは仏の教えであり、悟りを開くと言うこと。
たとえば病に伏してしまった時
なぜ自分ばかりがこんな目にあうのか疑問を持つ人と、
病気になってありがたいと考えて
受け入れられる人とではどちらがいいのか?
お坊さんは困難を受け入れ感謝する方が、
楽な生き方ができると言っていた。

とどのつまりあきらめが肝心?これが悟り?
私もこの日を境に、困難をありがたく受け止めよう。
”故人の法事を通して何かを教えてくれているのだから”と自分に言い聞かせた。
にわか仕立ての仏の教え。
この一部始終を知人に話した。
「とても良い話しを聞いた」とうれしそうだった。
その知人も失意の中にいるせいだろう。

木彫りの人形

そして、お礼にもらったのが木彫りの人形。
「この人形の表情を見ていると悲しくなるから持って行って!」と言う。
私には、その顔の表情が柔らかく優雅に見える。
彫った人のサインもない。
後世に自分の名前を残さなくてもいい。作品だけが残る。
作者はどんな思いでこれを彫ったのか。
祈るように純粋な気持ちで彫ったのかもしれない。
見方を変えれば、仏像としてとらえることもできる。

アートは見て、もしくは触って感じることができる。
受けた”感覚”というのは言葉に翻訳できない。そこがいい。
絵は”その人のイマジネーションで変わる”とはあのピカソの言葉。
東洋美も捨てた物ではない、凄い底力があると思う。
心に余裕があれば、カメオの女性と比較してみて!

人生の絵を描く

ある人は90歳過ぎた女性。独身。
遠く離れた場所に兄弟はいるが、
交流が無く、ひとり老人ホームに暮らす。
楽しいことがある反面、寂しさ、孤独、色々ある。
体の不自由さからくる弱さもある。

別の年老いた女性。
子供はいるものの、
結婚して遠くに住んでいるため一人暮らし。
夫に先立たれて、寂しいと訴える。
生きることを辞めるわけにはいかない。

働き盛りの人にも別の悩みがある。
子供を育て、生活に追われる毎日。
働くことから逃れられない。
生きている今の環境を、
仕事を捨てる訳にはいかない。

どんな状況下でも楽しく過ごすことが一番。
それは分かっているが、
実際のところ簡単ではない。

「人間、苦しみに遭遇した時どう対処すればいいのだろう?」
 と考えていたとき、偶然バス停で出会ったお年を召した女性から、
 次のような答えが返ってきた。
「人生の絵を描けばいいのよ」
「死んだ母がいつもそう言っていたの」
「昔の人は学こそ無かったけど生きる知恵はいっぱいもっていたと思う。」
 とも

苦しい事があったにせよ、その場面を頭の中で絵すれば、
事は重大であっても、ちっぽけなものに見えてくるというわけだ。
嬉しいとき 悲しいとき さびしい時、
それぞれが一コマの絵に集約される。

花-山中利夫
(花 山中利夫)

私の人生を絵にしたら・・・
結婚の時は花。
出産の時は笑顔いっぱいの家族の肖像。
苦しくて不安だった時は・・・
ムンクの叫びのように自分の内面を絵にするだろう。

人と争ったら?
人と心が通わない時は?
希望が見い出せない時は?

イメージするだけで人生の美術館が出来上がる。
それにしても、今日はとてもすばらしい出会いがあったものだ。