ギャラリーはすたれる?

ぴょこん ぺたん ぴったんこ♪ とのさまガエル あまガエル♪
アニメ”ど根性ガエル”の主題歌の出だし。

今日ほどアニメの世界の登場人物になれたらいいと思ったことはない。
地下鉄の乗り換えでの出来事。
ドアに挟まって、ぎゅうぎゅう押しつぶされて、このまま発車?
と思いきやドアが開いた。
生きた心地がしなかった。本当にぞ~っとした。
身の危険が迫ったとき、
”トムとジェリー”のように立体が平面になれば、
それか、平面ガエルのぴょんきち様のように、
シャツの中におさまる事ができればいいのに。
何かのはずみでペチャンコになっても、また元の姿に戻れる。

 アニメのことを考えると、ついつい娘のせりふが脳裏に浮かぶ。
「母さん、やがてギャラリーはすたれる。
今や主流は、漫画、アニメ、ゲーム。
美術画廊は敷居が高く、そこを訪れるのはほんの一握り。
それに対しアニメは大衆性があり、支持者も多い。」

 アニメの作業工程を資料を用いて説明してくれた。
「アニメは何人ものスタッフの手を介しており、
一人一人が個性を主張すれば作品は完成しない。
これは日本人であるが故にできること。
海外の人にはマネできない。究極はフィギュア。
立派な大理石や石膏、ブロンズ像よりもはるかに価値がある。」
 という。まるで評論家気取りだ。

子供の話にうなずけるところもあるが、閉口するところもある。
ギャラリーがすたれるとは思わない。
絵で食べていっている人がいる以上、それはは存在し続けるはず。

大衆芸術を芸術と見るか否かで、お客の動員率が変わってくる。
単にそれだけだと思とう。
最近、村上隆のフィギュアが16億円で落札された。
フィギュアはおもちゃか芸術か?
意見は二分するだろう。

芸術はさておき、お金が先行しすぎているのは気になるところ。
高価だから、名が知れているから作品が素晴らしいとは限らない。
その逆もあるのだから。

 向学のための為、尋ねてみた。
「ねえ、フィギュアってガンダムのこと?」
「あれはガンプラ、ガンダムのプラモデル。
フィギュアはちょっと違う、ソフトビニール人形みたいな感触。」

私もソフトな肌触りの”リカちゃん人形”に変身して街を歩いてみたい。
エレベーターのドアに挟まれても何のそのだ。
アニメから立体へ・・・
リカちゃん人形パフォーマンス、大衆うけ間違いなし。

わかりやすい絵

わかりやすいとは?
何を題材にしたのか一目見てわかる。
暗い色調より明るいもの。
自分、家族、来訪者みんなに受け入れられる。
そんな絵を見つけた!!!

5月の連休はたいてい実家の宮崎に戻る。
田舎へと引っ込む。
まわりは山に田んぼに畑。
庭の大きな石をどかせば、みみず、ダンゴ虫ぞろぞろでてくる。
夫は、庭の散髪、私は掃除、洗濯、おさんどん、大忙し。
そんな中、高鍋で個展があると新聞の記事で見つけて、
わくわくして会場に足を運んだのは去年のこと。

今年は個展の案内状が届いた。
去年、住所を書いていたせいだ。
予期していなかった事だけにとてもうれしかった。
帰省する楽しみが倍増する。

静物、動物、風景、人物、宇宙、メルヘンの世界、イラスト風、切り絵。
画材も鉛筆、油彩、アクリル、グワッシュと様々。

去年初めてその人の個展を目にしたときは、
いろんなスタイルの絵がありすぎて、
一枚一枚意識を集中させるのに時間がかかった。
(気の長くなるようなこの行為が
 作家を理解する一番の近道と常々思っているが・・・)
その中で気に入ったのは油彩の動物のイラスト。
なんだかほほえましくてリヴィングにでも掛ければ、
みんなが明るくなるに違いないと思った。
身近な題材を素直に表現していて、
誰でも共感が得られる作風で、値段が手頃。
そのためか、いっぱい赤丸がついていた。

そして今年の個展をむかえた。
前年の予備知識もあってか、ゆとりをもって眺める事ができた。
イラストはユニーク、類を見ないものだ。
”ヤンバルクイナ”を眺めつつ、
去年の個展の”カラス”をもう一度みたいと思った。

最近のゲーム、アニメの延長上の作品とは違う。
わかったのは身近なものに対する愛情が深いこと。
イラストの筆の勢いを見るにつれ、
”立体も上手かも・・・”と勝手な想像をした。
この作家は構図・対象物の組み合わせから察するに
独自の世界をもっている。
いろんな作家の影響を受けていないという印象。
経験を積み多くの作家の作品に触れ感動することで
もっともっと深みのある作品に仕上がるに違いない。

作家と話して、大工さんだったこと、
絵が好きで独学で絵描きになったことを知った。

会場まで労を惜しまず連れて行ってくれた夫(私を支える魔法の杖?)、
そして作家の前田さん、楽しいひとときをありがとう。

あ~”カラス”が恋しい。