よだきい思いをふりはらい出かけた藤田嗣治展最終日

レオナール・フジタこと藤田嗣治。
美術館は遠い、交通も不便、金もかかる。
家族で行こうものなら、交通費込みで5000円から10000円は見ておくべき。
出かける前、行くか行かざるべきか考える。
率直な感想、行って良かった。

LeonardFoujita

有名な作家なので画廊、美術館では断片的には目にしていた。
乳白色の裸婦はリトでも1000万円位。
猫と一緒のドライポイント70万円。
晩年の子供が題材のリトは20万円前後。
値段ばかりが先行して、何が何でも行きたいという気にならなかった。

しかし、日本初公開という巨大な縦横3メートルに及ぶ4点の作品は必見かと。
そして、彼のペットとしてではなく、複数のどう猛な猫の絵を思い出したとき、
よだき心を振り絞って、行こうと決心した。

渡仏後の1920年代から晩年の作品まで、
系統的に見ることができたのは、ラッキーなことだった。
ただ単に可愛くて、優雅で美しいと言うものだけでではなかった。
大作のタイトルは構図、争闘。人と人の争い・・・・まるで戦争だ。
時に現代は、心と心の戦争の時代。
この人の絵はいまの人間社会に相通ずるとこがあるようにおもえた。
そして晩年は70歳頃?
洗礼を受け宗教画・フレスコ画・ステンドグラスへと続く。
最後は宗教に活路を見いだし、心は平穏になったのだろうか?
彼に関して詳しく知らないので、それ以上のことは書けない。

”フジタすなわち高額な”と言う先入観を捨て去って、
必死に時代を行き抜いた一人の人間性豊かな画家としてとらえることができた。
百聞は一見にしかずである。

最後に、
サインの位置が作品ごとに、異なっていた。
右下、左下、真ん中下・・・なぜだろう。
未完成の”馬とライオン”サインを入れるとしたらどの位置だろうか。
漢字で嗣治、その下にローマ字でフジタとあるのは20世紀初頭。
サインのスタイルも年代で変わっていくのは面白い。

※ よだき(い)=【宮崎弁】面倒くさいという意味で、だるい・しんどい?

いい絵に巡り会いたい

宮崎の県美術展を見に出かけたときのこと。
日本画、洋画、イラスト、抽象画、壁一面 無秩序に展示されていた。
いろんなパターンの絵が自分の視界に一気に入ってくるから面白い。
作品数が少ないと言う事情もあるのだろうが、ちょっと新鮮だった。
主催者側で絵の配置を考えているのだろうけど。

が、どの絵が良いかとなると話は別。
絵が訴えかけようとするテーマは解る。
しかし技術不足なのか、感覚が研ぎすまされてないのか。
一枚一枚、何度と無く眺めるものの、
満足するものが見つからなくて、いささか消化不良気味。
人物画も風景画も物足りない。

何で?
例えば樹木・・・大地に根を張った様を描いたもの。
樹木を通して見上げた空の様子等々。
きっと自然の姿に感動したにちがいない。

しかし、私は感動を作者と一緒に共有したいわけではない。
その絵をして自然の偉大さ心地よさを感じ取りたいし、
人物であればその人の内面までみてとりたい。
そして、どう生きるのか示唆するような作品に出会いたいと切望する。
表現方法は抽象・具象問わずなんだっていい。

Tree

美術館や芸術劇場を取り巻く並木や落ち葉の表情、
肌で感じる風の心地よさを超える作品には出会えなかった。
兵藤和男の”森”という作品が恋しくてたまらなかった。