いびつな陶器に愛嬌感じる今日この頃

陶磁器の高級ブランドの経営破綻。
長い歴史に幕を閉じてしまい残念に思う。
子供の頃デパートに展示されているのを見て、
その素晴らしさにため息をつていた。
高度成長期、みんな西洋文化に憧れていた頃。
海外旅行も高嶺の花。せめてカップ1個だけでも欲しい。
それを手に入れてじっと眺めて、
優雅な世界を頭の中で想像できたらどんなにいいだろう。
買い求めるにはあまりにも高価だった。

あれから何十年も経過し、
高級品とされた器やバック、時計、洋服あまりにも身近になりすぎた。
街にあふれかえっている。
器1つとっても、バカラグラス、マイセン、ロイヤルコペン、
ジノリ、ウェッジウッド、ヘレンド、・・・
某電機屋さんの2階に行けば毎日みられる。
だからといって、のどから手がでるほど欲しいという気持ちにはならない。
心が動かない。
20%OFFとあっても財布のひもはゆるまない。

骨董屋でみる古いバカラグラス、マイセンとは異なって見えるのだ。
子供が誕生した頃買い求めた
ウェッジウッドのピーターラビット(比較的安価なこのシリーズを
手に入れるのが精一杯だった。)のカップとも比べものにならない。
15年以上使い続けただけのことはある。
かわいらしい。

思うに大衆化し過ぎてしまった結果、人の心をとらえなくなったのではないか。
絵画にも言えることだが、ブランドにとらわれない方が楽しみの選択肢はふえる。
もっとも、こういう考えに至るまでの過程は長かったのだが・・・。

そして、ひそかにお気に入りの器で日常生活を楽しんでいるのだ。
不揃いな食器たち、それぞれ表情が違う。
みんな違ってみんないい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です