中学生の頃、”ひまわり”という映画を見た。
”クリスマスキャロル”との二本立て。
”クリスマスキャロル”が目的で、
生徒手帳と学校で配られた割引券を持って映画館に入った。
記憶に残ったのは”クリスマスキャロル”より”ひまわり”。
伊仏合作、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤニ、
リュドミラ・サベーリュエワの競演。
音楽はヘンリー・マンシーニ?
終わった後は涙があふれてしまった。
凄かったのはひまわり畑。
道路沿いに何本か植えてあるのはよく目にしていたが、
菜の花畑のようにどこまでも広がっているひまわりを見たのは
この時が初めてだった。
そして高校時代、自分の背丈よりも高い大きなひまわり何本も植えられた校庭。
夏場、そのひまわりの下でほうきを持って掃除するのが好きだった。
一緒にいた同級生の一人が、
この花は太陽の回りをぐるぐるまわるから”ひまわり”と言うのだと教えてくれた。
英語でsunflowerとはよく言ったものだ。
それから何十年も経過。
二度目にひまわり畑を見たのは、
スペイン在住の日本人画家のリトグラフの中でのこと。
大きな会場での個展。
何十点もの作品に囲まれると自分もひまわり畑に居るような感覚におちいった。
かつて映画で見たシーンと重なる。
どこまでも続くひまわり畑をひと目見てみたい。
この作家がちょっと恨めしかった。
「行ってみたいなよその国」と心の中で呟いた。
”ひまわり”を題材にした絵は数多くある。
考え込んでしまうきっかけは、
ゴッホのひまわりが御利益アートとして販売されていたこと。
ゴッホが生前、御利益?などと考えて”ひまわり”を描いたのだろうか?
高値で売買される事を望んで画家という人生を歩んだのだろうか。
そんなことはあり得ない。それは百も承知。
しかしなぜ”ひまわり”をあんなにせっせと描いたのか?
話題作といえど数にして12点というから以外と少ない!!
そんな時古本屋で”ゴッホに捧げるひまわり”という写真集(ダンカン)を見つけた。
”ひまわり”をありとあらゆる角度から写されたもので芸術性の高い本だった。
一見の価値あり。
ゴッホをしてひまわりを描かせた気持ちが痛いほど理解できた。
さて、ひまわりを描いた作家はゴッホに限ったことことではない。
古くから存在した。
例えば、宮廷画家ヴァン・ダイクの”向日葵のある自画像”。
顔だけこちらに向け右手で大きな向日葵を指し示している構図。
高階秀爾著「芸術のパトロンたち」岩波新書によると
この絵は象徴的意味が重なっているという。
向日葵は太陽神に憧れた
ニンフ(ギリシャ神話に登場する精霊あるいは下級女神)の
変身したものと言う古代の伝説から、上位の存在への愛の象徴と考えられてきた。
向日葵は宮廷の好意であり、
ヴァン・ダイクはその好意に対し忠誠を誓っていると解釈できる。
と同時に向日葵は、絵画芸術の象徴ともとれ、
画家自信 の自画像であるともされている。
向日葵の持つ伝統的象徴性はゴッホの時代まで引き継がれたと言う。
絵の中に存在する
向日葵は”神”、”太陽”、”光”、そして、自分自身を映し出す”鏡”?
あの”ひまわり”はゴッホ自身なのかも。