2009/1/25 日曜日

いびつな陶器に愛嬌感じる今日この頃

Filed under: モノローグ — galerienne @ 21:23:50

陶磁器の高級ブランドの経営破綻。
長い歴史に幕を閉じてしまい残念に思う。
子供の頃デパートに展示されているのを見て、
その素晴らしさにため息をつていた。
高度成長期、みんな西洋文化に憧れていた頃。
海外旅行も高嶺の花。せめてカップ1個だけでも欲しい。
それを手に入れてじっと眺めて、
優雅な世界を頭の中で想像できたらどんなにいいだろう。
買い求めるにはあまりにも高価だった。

あれから何十年も経過し、
高級品とされた器やバック、時計、洋服あまりにも身近になりすぎた。
街にあふれかえっている。
器1つとっても、バカラグラス、マイセン、ロイヤルコペン、
ジノリ、ウェッジウッド、ヘレンド、・・・
某電機屋さんの2階に行けば毎日みられる。
だからといって、のどから手がでるほど欲しいという気持ちにはならない。
心が動かない。
20%OFFとあっても財布のひもはゆるまない。

骨董屋でみる古いバカラグラス、マイセンとは異なって見えるのだ。
子供が誕生した頃買い求めた
ウェッジウッドのピーターラビット(比較的安価なこのシリーズを
手に入れるのが精一杯だった。)のカップとも比べものにならない。
15年以上使い続けただけのことはある。
かわいらしい。

思うに大衆化し過ぎてしまった結果、人の心をとらえなくなったのではないか。
絵画にも言えることだが、ブランドにとらわれない方が楽しみの選択肢はふえる。
もっとも、こういう考えに至るまでの過程は長かったのだが・・・。

そして、ひそかにお気に入りの器で日常生活を楽しんでいるのだ。
不揃いな食器たち、それぞれ表情が違う。
みんな違ってみんないい。

2007/11/13 火曜日

心安らぐおじいちゃん

Filed under: モノローグ,美術 — galerienne @ 20:27:09

私に木彫りの人形(女性像)をくれた知人。
見ると悲しくなるから!

でも木彫りのおじいちゃんは心が安らぐから、
自分のそばにいつも置いておきたいと言った。

 木彫りのおじいちゃん

アジアの作品ではあるが、
”なんだかジャコメッテイの矢内原伊作(哲学者)を
モデルにした石膏像に通じるものがあるなあ・・・”
と内心感動した次第。

2007/11/11 日曜日

木彫りの人形に込められた思いは?

Filed under: モノローグ,美術 — galerienne @ 18:34:08

法事に行ったとき、お坊さんが生きるというのは苦しみの連続だと言っていた。

四苦八苦と言う言葉の中の四苦とは、生 老 病 死のこと。
お母さんの産道を通ってくるときの生まれる苦しみ。
老いる苦しみ。
病気の苦しみ。
そして死の苦しみ。

八苦とは、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦のこと。
愛するものと別れなければならない苦しみ。
憎んでいる対象に出会う苦しみ。
欲しいものが得られない苦しみ。
心身の機能が活発なため起こる苦しみ。

仏教とは仏の教えであり、悟りを開くと言うこと。
たとえば病に伏してしまった時
なぜ自分ばかりがこんな目にあうのか疑問を持つ人と、
病気になってありがたいと考えて
受け入れられる人とではどちらがいいのか?
お坊さんは困難を受け入れ感謝する方が、
楽な生き方ができると言っていた。

とどのつまりあきらめが肝心?これが悟り?
私もこの日を境に、困難をありがたく受け止めよう。
”故人の法事を通して何かを教えてくれているのだから”と自分に言い聞かせた。
にわか仕立ての仏の教え。
この一部始終を知人に話した。
「とても良い話しを聞いた」とうれしそうだった。
その知人も失意の中にいるせいだろう。

木彫りの人形

そして、お礼にもらったのが木彫りの人形。
「この人形の表情を見ていると悲しくなるから持って行って!」と言う。
私には、その顔の表情が柔らかく優雅に見える。
彫った人のサインもない。
後世に自分の名前を残さなくてもいい。作品だけが残る。
作者はどんな思いでこれを彫ったのか。
祈るように純粋な気持ちで彫ったのかもしれない。
見方を変えれば、仏像としてとらえることもできる。

アートは見て、もしくは触って感じることができる。
受けた”感覚”というのは言葉に翻訳できない。そこがいい。
絵は”その人のイマジネーションで変わる”とはあのピカソの言葉。
東洋美も捨てた物ではない、凄い底力があると思う。
心に余裕があれば、カメオの女性と比較してみて!

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